どうも皆様おはこんばんにちは。最近妙に疲れるのよねと家族に話をしたら『それが自粛疲れ』というやつなのでは?と家族に言われて『あーこれが巷で有名な奴か』と妙に納得してしまった人ことボブでございます。皆様いかがお過ごしでしょうか?
いやはや、自分もあまり若くはないのでそろそろ寝る前にストレッチなどをして体をほぐしたりして疲れを取ってから寝た方が良いかもしれませんね。
30代に近づくにつれてなかなか寝るだけじゃ体力を回復し辛いという話を聞いたのですが、まあ恐ろしいものですね。
若い頃に戻りたいとは思いませんが、年を取ったなら年を取ったなりに自分との向き合い方をしていかなきゃあと思っているのが本音ですね。
さて、今回は『色んなデッキを組むべきか一つのデッキを極めるべきか』についてお話させて頂きたいと思います。
今回の記事は、初心者を卒業して『デッキの使い方にも慣れたからそろそろ新しいデッキを作りたいな』と思っている方が読んで頂ければ参考になると考えております。
まず、皆様、デッキは何個持っていらっしゃるでしょうか?
人によってはデッキを十数個以上も持っていらっしゃる方もいらっしゃると思います。
私も詳しく数えるのが面倒臭くて数えていないのですが、それでも十個以上はデッキを持っています。
デッキをいっぱい持っていると言いますと、遊戯王のキャラではバンデッド・キースや三沢大地(エアーマン)などが、デッキをいっぱい持っているのを見せつけているシーンを思い出します。
昔は童心ながらすごいなと思っていました。
ですが、大人になってから見ると『普通じゃない? いやむしろそんなに多くねぇな』と思ってしまったのが恐ろしいところではありますけどね。
話が逸れました。
ベテラン勢の方は何個でもデッキを作って頂いた方がKONAMIさんのやる気も上がってくるので是非ともいっぱい作って頂きたいと思います。
ですが、時々初心者から少し脱出したくらいの方で、すぐに新しいデッキを作ってしまう方がいらっしゃいます。
新弾のカテゴリを見かけるとついつい新しいデッキを作りたくなってしまう気持ちはわかります。
ですが、私個人的な考えで言いますと色んなデッキを組むよりも最初のうちは一つのデッキを極めた方が良いと考えています。
その理由は以下の四点です。
- お財布に優しくない遊戯王ライフになる。
- 中途半端なデッキを量産するようになる。
- 禁止制限を見落としてしまう。
- プレイングが上手くならないので負けやすくなる。
(1)『お財布に優しくない遊戯王ライフになる』
お金持ちの方だろうとあまりお金のない方だろうと、新弾が出る度にデッキを作っているとお金がいくらあっても足りません。
ただデッキを作る作らないに関わらずBOXは買っておいた方が良いというのは私の持論としてあるのですが、それはまた別の機会にお話させて頂きます。
新弾が来るたびに新しいデッキを組むを繰り返すと、実際のところいつまで経っても満足することはありません。
大量のデッキを量産するだけになるのですね。
遊戯王は大体ですが月1ペースで何らかのカードを出していきます。
しかも箱で買ったからといってひと箱ではまず完成しません。
そこでもうひと箱買ったり、単品買いなどをしていくにつれてどんどんお金を消費していくのが恐ろしいところです。
一食780円のラーメンで躊躇するのに、ひと箱約1000円(時には1200円以上)するストラクチャーデッキを『三箱買わなきゃ無価値よね』と言って買うのがデュエリストという生物なのです。
そうしてみるみるお金が溶けていき、キツキツな生活を送ることになるのです。非常に恐ろしい限りですね。
(2)『中途半端なデッキを量産するようになる』
デッキにはメンテナンスというものが必要になってきます。
新弾が出て新しいカードが発売された時、ふいに自分が作っているデッキと相性の良いカードが出ることがあるのは皆様ご存じのことだと思います。
そのカードをデッキに組み込んで更に強くしていくことが出来るのも遊戯王の醍醐味だと思います。
ですが、作っているデッキがもし30個くらいあればどうなるでしょうか?
まずそんなに持っている方はいらっしゃらないと思いますが、全部のデッキを把握して相性の良い新しいカードを発見して入れてとやっていっては、まず時間が足りません。
それに『灰流うらら』等のそれなりにお値段のする汎用性の高いカードを、自分の持っているデッキに全部入れていくとなると、マッハでお金が消えていくことになります。
そのうえ『汎用性の高いカード』や新しく出た『必須級のカード』を入れることが出来ていないデッキは悪くはないですが中途半端なものになってしまいます。
以上のようにデッキが増えれば増える程、メンテナンスが行き届かなくなります。
そうなれば、ミラーマッチをした時や完成度が強いデッキと戦った時に何だかんだで勝ちが遠ざかってしまう原因になると考えられます。
そして何よりカード情報が更新される度にそのカードが合うデッキはないかと探すのは正直かなり疲れてくると思います。
どのカードがどのデッキに合うかを全て把握することは到底困難で、全てを追っているうちにどんどん面倒くさくなっていくことが予想出来ます。
そうなれば最悪『情報に追い付けないから辞める』という結果に繋がりかねないので危険であると考えます。
(3)『禁止制限を見落としてしまう』
遊戯王を含めカードゲームには禁止制限があります。
禁止制限でデッキに入れることが出来る枚数が限られることがあるのですが、制限が解除されて枠が増える分は良いのです。もったいないですが。
しかし、デッキに入れているカードが制限が掛かってしまった場合、デッキの量が多いと、入れてはいけない枚数の制限カード入っているデッキを見落としてしまう危険性があります。
そうなれば大会の場合だと反則負けになります。
友人間だったら許してはくれるかもしれませんが、負けた場合はまだしも勝った場合だとものすごく複雑な気分になってしまいます。
また、当然ですがルール違反になりますので、何らかの予備のカードを持ってきていない限りはそのデッキでプレイすることが出来なくなります。
(’予備のカードを入れていてもシナジーがなければそれが事故要因になりますしね)
それがもし、持ってきているデッキ全部に何らかの不備があったとしたら・・・・。
『解散ッ!!』か友人達のデュエルを眺める概念にジョブチェンジするしかなくなってしまいます(友人のデッキを借りるという手もありますけど)
このようなことが起こりえるので、メンテナンスの目が行き届かせることが出来るくらいのデッキの数にしておいた方が良いと私は考えます。
『では、作ってはデッキを作っては崩してを繰り返してメンテナンスが出来る個数にすれば問題はないんじゃないか?』と思われますよね?
ですが、そうは問屋が卸さない理由は四つ目になります。
(4)『プレイングが上手くならず負けやすくなる』
実をいうと遊戯王において負けというものは色んなことを教えてくれます。
自分のデッキのどこが悪かったのか、どういうデッキが苦手なのか、自分のプレイングの癖、駆け引きの是非等は負けないことにはわからないのです。
しかも一回だけではまぐれで負ける可能性もあったり、なぜ負けたのか分からなかったりするので何回も勝負をして勝ち負けを体験することが必要となる訳ですね。
何度も勝負を繰り広げていくうちに、色んな負け方を経験します。
色んな勝負を経験して共に乗り越えてきているのでデッキに愛着が湧いて『もっと強化して次こそは勝たせてやるからな』と話しかけるようになります(狂人)。
そうなると色んな工夫をしたり、思わぬルートを見つけたりしてどんどん勝てるようになっていき、結果デュエルが楽しくなると私は考えます。
ですが、色んなデッキを使っていると負けの回数が圧倒的に少なくなります。
(勝てるという訳ではなく、物理的に勝負の回数が少ない為)
プレイングの癖などは改善できるかもしれませんが、デッキ一つ一つと接する時間が短くなってしまうので、デッキの個性を全然把握することが出来なくなります。
愛着も『いっぱい作ったうちの一つ』となってしまい、『別に負けても悔しくはないかな』とか『このデッキクソ』とか言いだすようになります。
こういうことを繰り返していくうちに調べも工夫もしないので『このデッキ負けるけど何故負けるかわからない』や『このデッキ何回やってもすぐ事故るねん』と言い出すようになるということに陥るのです。
数学が出来ない人が『どこが分からないかわからない』や『数学はまじでくそ』と言い出す状況になるのと同じ原理です(体験談)
そんなデッキが大量に増えたらどうなるでしょうか。
部屋のスペースを圧ぱ・・・・げふんげふん。負けが多くなりますよね。
結果『このデッキは(何が弱いかようわからんけど)弱いから新しいデッキを作る』と言った悪循環が生まれるわけです。
非常に勿体ないと私は考えます。
故に私は『一つのデッキを愛着が出るまでどんどん使っていって勝ちに繋がるように高めていくべきだ』と考えるのです。
もちろん、新しいデッキを作ること自体は素晴らしいと思います。
ですが、新しいデッキを作る前にちゃんと前に作ったデッキと向き合ったか確認して下さい。
そして最後の最後まで強化して『もう現段階ではこれ以上強化が出来ない』となった時初めて新しいデッキを作ることをおススメします。
デッキが自分に応えてくれる。
精神論は好きではないですが、それは確実にあります。
そうして魂の相棒デッキ達と共に色んな猛者と勝負していった時、今よりも遊戯王が楽しくなるのではないかと私は考えます。
今回は長くなってしまって申し訳ありません。以上となります。
本日はありがとうございました。