どうも皆様おはこんばんにちは。
本日長年苦手としてきたカリフラワーを食することに成功し、人生の好き嫌いの大半って初めてその材料を使った人の腕前によるんじゃね、という心理に気付いてしまったボブでございます。皆様いかがお過ごしでしょうか?
意外と苦手な料理って母親が作ったものとか給食とかでトラウマを与えられることが多いので、そう考えると初めて食べさせる料理って緊張するだろうなと思います。
なんたって生涯においてその食べ物が嫌いで仕方ないということが起こるわけですし、赤ちゃんの味覚って大人よりも優れているらしいので、誤魔化しが効かないので恐ろしいなと思います。
ちゃんとグラム数とか計っていないので味が定まらないから余計にです。
さて今回は『遊戯王は結局のところ運ゲーなのか?』ということについて書かせて頂きたいと思います。
今回の記事は『また事故った。俺運悪ぅ』と言ったり言われたりした方が読んで頂けると楽しむことが出来るのではないかと思います。
今回の記事はフォロワーさんの呟きを見て、なかなか奥深い話だなと思ったものを『では自分ならどう考えるか』と自分なりに昇華したものを書かせて頂いております。
こういうネタ探しを呟きのなかから見つけることが出来るのもTwitterのありがたいところですね。
では参ります。
遊戯王をしているとよく言われるのが以下の言葉です。
『あぁ。事故った。俺今日運悪いわ』
この言葉は遊戯王をしていると一度は言ったことや言われたことがあるのではないかと思います。
現に私も『くっそくっそ。むっちゃ運悪い』とよく心の中で愚痴っております。
運が悪かったと言われると相手もあまり良い気がしないと思うので、出来るだけ言わないようにしているのですが、それでもそう思ってしまうことはあります。
そしてあまり意識することなく日が過ぎていくなか、今日『遊戯王ってなんだかんだで結局のところ運ゲーではないか』という呟きを見かけたのです。
そこで自分のなかで少し考えてみたところ結論に至ったのです。
その結論と言うのは。
ここで大切なのは『最終的には』のところです。
それは何故かという理由は以下の通りです。
- 何事においても100%というのは難しい。
- 相手が何デッキを使うかによって勝ち負けが変わる。
- デッキ構築だけの話ではないということ。
(1)何事においても100%というのは難しい。
遊戯王だけでなく全ての事象において100%の確率というのは『人はいずれ死ぬ』ということ以外ありません。
ただでさえそんな状況なのに、手札やデッキの組み合わせによって左右される遊戯王が運ゲーでない筈がありません。
例え高確率で動くことが出来るデッキだったとしても一万回もやれば地獄のような手札になる可能性がある訳ですね。
例え複数のルートから展開することが出来たとしても、それでも事故らない確率が8割ぐらいあれば最高!くらいな感じかなと思っている所存です。
遊戯王だけでなく、人生の大半は運ゲーみたいなものであるというまず一つ目の理由です。
(2)相手が何デッキを使うかによって勝ち負けが変わることもある。
遊戯王は対戦相手がいるゲームです。
ですので、相手が何デッキを使うかによっても勝敗が変わってくるという点も運の一つではないかと考えるわけですね。
例えば墓地をガンガン使う系のデッキを回そうとする時があります。
ですが、相手に先攻を取られて、相手が『マクロコスモス』や『次元の裂け目』を使う除外デッキを使っていたとします。
そして、偶々相手の手札に先ほどのカードが来て発動されたとします。
となれば相性が最悪なのは言うまでもありませんよね?
『ツインツイスター』や『ハーピィの羽根帚』で破壊しようとしても普通に妨害するカードを相手も入れています。
ですので、そういうメタカードになりえるものに対処していたとしても、現実的にはなかなか難しいと思います。
こういうピンポイントなメタデッキと対戦する可能性がある時点で運ゲーな要素は混じっているのではないかと考えます。
もちろん、自分がどういうデッキが苦手なのかを把握してそれに対処しておくべきということはあります。
ですが、色んな弱点に対処するとなると、その時点でデッキが重くなって動きが鈍くなる可能性もあります。
となれば、多少の弱点には目をつむってより良い動きをするのを求めるのは罪ではないと私は考えます。
これが私が考える二つ目の理由です。
(3)デッキ構築だけの話ではないということ。
遊戯王をしていて時折起こる『デッキが応えてくれた』という現象があります。
これはデッキに一枚しか入れていない筈のカードがその時に限って偶々来てくれるというものです。
私も以前このような体験をしました。
友人の『ジェネレイド』と戦った時、相手が『王の舞台』を出してターンエンドをしてきました。
このままだとドローフェイズにドローした瞬間、相手の『王の舞台』の効果が発動して展開されるのが目に見えていました。
ですが、この場合『ハーピィの羽根帚』でも引いた時点で発動してしまう為に遅く、唯一の望みはデッキに一枚だけいれた『サイクロン』でした。
正直枠が余ったのでノリで入れただけのものだったので、存在すら忘れていました。
相手はどのように展開してやろうか、というのが顔に出ている程余裕な感じでした。
そしてドロー。
相手はノリノリで『王の試練の効果発動ッ!』と言ってきたところに手札に握っていたのは『サイクロン』でした。
そしてそのまま『サイクロン』を発動し、相手の『王の舞台』を破壊することが出来、相手は破壊されると思っていなかったので対策しておらず、その勝負は勝つことが出来ました。
しかしながら、この場合相手は悪かったのでしょうか?
確かに『サイクロン』が来た時用の為に対処してなかったといえば、一見悪いように見えます。
しかしデッキの採用率やその他諸々のことを考慮すると、わざわざサイクロンに対処する必要があるのか?と言えば微妙だなと思います。
そもそも例え『神の宣告』などで対処していたとしても、カードが手札に来なければ意味がありません。
となれば、まさしくこれは『運が悪かった』と言える案件だったのではないか。と私は思うのです。
しかしながらですね。『遊戯王は運ゲー』だからと言って手札事故を起こしても『遊戯王は運ゲーだから』というのはよろしくないと私は考えます。
例え『最終的には』運ゲーだったとしても、1%でも事故を起こす可能性を潰すように努めるべきだと私は考えるのです。
色んな手段を使って事故を起こす確率を減らし、これ以上どうやって対処すれば良いのかわからないとなった時点で初めて『運が左右する』舞台に立つことが出来ると私は考えます。
その下準備を怠って『遊戯王は運ゲーだ』と言ってしまうのは、練習もしないで大会に出て『こんな強い相手と当たる俺って運悪いわー』というのと同じように感じるのです。
文句を垂れる前に練習して工夫しろ。となるわけですね。
まずは自分のデッキをいかに事故らないようにするかに挑戦し、自分のデッキと運を味方につけてデュエルに勝利出来るようになりたいものですね。
本日は以上となります。ご視聴ありがとうございました。