どうも皆様おはこんばんにちは。
最近、昔のバイトの夢をやたらと見る人ことボブでございます。皆様いかがお過ごしでしょうか?
いやはや、なんと言いますか昔やってたバイトの夢を最近よく見るんですよね。
まあ色々なことをやっていたので思い入れがあるものやら無いものまで色々あるのですが、まあ懐かしいような感じはしました。
ただ、地味にこういう時って失敗した時のことやら夢の訳の分からなさが混ぜ合わさったことによって更に意味が分からないようになるみたいなことがあって、正直笑えない感じのこともありました。
今思えば、良い経験だったなあと思う反面、色々とよくもまあやったものだなあと思います。
っていうか自分でも今でも自分に合った仕事って何なんだろうと思うことは多々ありますが、ぶっちゃけやってみたら何とかなる時は何とかなりますし、ならない時はスパッと諦めた方が身のためかなあと最近は思いますね。
しかしながら、なんで今になってバイトの夢なんて見るんでしょうかね。不思議でたまりません。
まあ、そんなことはさておき。
今回は『大人と子供?デッキ作り中に自分を縛りがちな合理性と勝ちたい欲』についてお話させて頂きたいと思います。
今回の記事は昨日、少しばかり心に染みるようなお話をして頂いたので思い出を残すという目的と共に、デッキ構築に迷いがちな皆様の参考になれば幸いです。
では、参ります。
此処で早速質問があります。
皆様には『これをしたらロマンがあるなあ』ってことありますでしょうか?
特に何でも良いです。
珍しいカードを出すのもロマンですし、珍しいコンボを決めることもまたロマンだと思います。
色んなロマンがあるのが世の常ですが私はあることで悩んでいました。
それは『ロマンのあるデッキを作りたい』と思っても『勝ちたい欲と合理性』が邪魔をするというものでした。
例えば、珍しいカードを使いたいと思ってもついつい組む前に『これは合わない』と決めてしまうことがあったんですね。
実際の所、単純に合わないということもあったと思いますし、勝つ為には合理的に考えれば入れる必要は無いというのは本当のことだと思います。
その判断自体は間違ってはいないでしょうし、もし使うのならばもっとスマートに無駄なく作る手段がある、と私は考えていました。
しかしながら、合理性と勝つことを突き詰めた時に悩まされることがあったのです。
それは何か。
面白くないんですね。
とにかくデッキが面白くないのです。
というのも淡々とデッキを動かしていくだけの動作になるので、正直なところロマンも面白みも全くないのですね。
ロマンが無いが故に何をしても満足がいかないということになりますし、突き抜けたものを作ろうとしても、合理性が邪魔をして安牌な動きをして勝つことに重視したデッキになっていました。
その結果、自分が動かしていて楽しいデッキが作れないんですね。
それこそ自分が『これ使ったら楽しいだろうな』というカードがあったとしても、面白みを感じない構築なるので、なんだかなーと思ってしまっていたんです。
しかし、昨日、プロレスデュエルのメンバーの一人の方とお話をさせて頂いた時、その話をしたのですが、まずその時にこう聞かれたのです。
『ボブさんは何を活躍させたいんです?』と。
その時に子供の頃に好きだったけど買えなくて、いざ大人になって買ったものの何となく使う機会が無いままストレージにしまっていた二枚を挙げました。
この二枚は単体で使えば強いのですが、強いが故に面白みが無いように感じていたんですね。
『まあ、プロレスデュエルには使えないでしょうけどね』みたいなことを言っていた時、その方はこうおっしゃったんですね。
『よし、二枚とも入れましょ!』と。
思わず目が点になりました。
どう考えても合理性もシナジーも無ければ、単体が強いだけの二枚だったので思わず聞き直したら『どっちかじゃなくてどっちも採用してこそのエンタメですよ』と。
これを教えて頂いた時、何となくですが自分の中の常識が崩れたように感じました。
確かに『本来なら交わらない二枚が交わるって面白くないか?』と。
一枚だけなら単なるパワーカードだったとしても、その二枚が上手く噛み合わさることによってただ強いのを出す、みたいなつまらなさを改善できるのでは?と。
そしてその方はこうも仰ってたんですね。
『世の中の人が求めるロマンよりも自分が楽しめてなんぼ』と。
そう言われてみれば思う節がありました。
結局のところ自分の中の合理性って相手から見ても納得してもらえるとか、普通ならこうするとか、世間から見た評価を気にしていたことだったんですね。
よく自分の好きなカードを、少し上手い人にデッキ診断してもらう時に『このカード重い』とか『なんでこんなカード入れてるの?』みたいに言われて悲しかった、みたいな話を聞いたことがあります。
自分でデッキを作る時に無意識的に自分の中でそういう判断をする人を作り上げて勝手に評価をさせていたんじゃないかということに気付いたんです。
結果的に構想的には、自分の好きなカードだけを詰め込んだまさに子供のおもちゃ箱みたいなデッキになって思わず笑いそうになりました。
ただ、その教えて下さった方は『子供の玩具箱は大人が作るからこそ面白い』と言ってくれはったんですね。
その言葉を解釈するに『子供の頃には、好きなカードを詰め込んだだけならそれは単なる紙束になるけど、大人にはそれを何とかして形に出来る知恵があるからこそ、子供の玩具箱を作っても面白くなる』という意味だと私は捉えました。
たとえ一見無理なように見えたとしても、本当に無理かどうかはやってみないと分からないんですよね。
やりたいことがあるならあれもこれも詰め込んで、とりあえず自分なりの玩具箱をおもっきり試してみるというのは非常に良いことだと私は気付かさせて頂きました。
使いたいカードが複数枚あるならそれを全部積み込んでみるくらいの勢いがあった方が意外と面白くなるのかなと思います。
大人になるとついついスマートさを求めてしまいがちになってしまいます。
スマートに生きた方がカッコよく見えますし、出来ることなら余分な苦労はしたくはないですからね。
しかしながら、趣味の世界くらい偶には道草を楽しんだり、ちょっと馬鹿をしたりしている方が面白いことだってあります。
自分の中で勝手に限界を決めずに色んな視点でチャレンジ出来る様になりたいものですね。
本日は以上となります。
もし宜しければ下に昨日の記事のリンクを貼らせて頂きますので、今回の記事を読んで興味を持たれた方がいらっしゃいましたら読んで頂ければ幸いです。
本日はお付き合い頂きありがとうございました!また明日お会いできる日を楽しみにしております。